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理事長のひとこと

第259回 日銀新総裁黒田東彦氏の経済政策

  日本銀行総裁に黒田東彦氏が就任された。その黒田氏とは、20代の頃から色々な議論をさせてもらっていた。彼がアジア開発銀行の総裁になる前の時期には月1回程度、食事をとりながら議論していた。彼からは教わることの方が多かったが、議論仲間だったことから、彼の政策についての姿勢はかなり良く知っているつもりでいる。そこで今回は、彼がどのような思いで現在の日本における経済政策という課題を考えているのかについて触れてみたい。

 黒田氏の政策を議論する基本姿勢は、一言で言えば哲学者のカール・ポパーの文献から彼が受け取ったものが大きいと思う。ポパーの著書の中で最も有名なのは『開かれた社会とその敵』だろう。ポパーは、社会科学の命題を経験によって修正していく命題の積み重ねとしていかに編むことができるのか、ということに心を砕いた人であった。逆に言うと経験的なもので命題を修正することができないある種イデオロギーのようなもの、どんな事実が出てきても揺らがない命題に従って判断するということに対して根底的な拒否反応を示していた。我々の知っている20世紀の歴史ではこれは「マルクス主義」であったと言えるだろう。
 マルクス主義の規定はいくつかあるが、例えば「下部構造が上部構造を決める」という命題がある。これは、経済における関係が上部構造としての政治システムを決めるというものである。ポパーはこうした命題に頭から反対した。湯気を立てて論駁していた。そうした中で彼の行きついた社会科学の命題は「refutable(反証可能性がある)」ということであった。即ち、一つの命題が定義されたときに、その命題が真であるかどうか論拠を挙げて反駁できるかどうか、これこそが命題であるということだった。これがマルクス主義との長い対立を強いられた時代にポパーが行きついた命題であったのだ。
 これを今日の経済政策で考えると、命題は真か偽かというとき、真とも偽とも言えない、一種のtautology(同義反復)を続けるものが命題として数々存在することは我々も良く知っている。金融政策に関して黒田氏がこの10年以上に亘って感じていたのは「金融政策の目的、あるいは金融政策展開における拘束条件は、やはり客観的に一度提示するべきだ」いうことだったのではないだろうか。それが正しいかどうかはまさにrefutableなものであり、違っていれば変えればよい。しかしrefutableなものとして提示すべきであると彼は考えたのではないか、というのが私の感想である。

 日本銀行について考えてみると、伝統的な考え方として「そもそもセントラルバンカーとは」という命題があった。これは日本銀行に限らず、由緒正しい組織には常にあるテーマだと言えるだろう。そして「そもそもセントラルバンクとは」、「立派なセントラルバンカーとは」という命題は、状況の中で簡単に変わったりするものではないという認識があった。もちろん20世紀の世界経済の歴史においては、スーパーインフレを経験した地域、時代はあった。誰がどう考えてみても、貨幣価値の安定が中央銀行の役割として重要であることは間違いない。しかし、中央銀行は常に物価の安定に配慮しなければいけないという否定できない命題の中から「しかし経済の変数は他にもある」というテーマも出てくる。
 例えば企業収益の改善が長期に亘って阻まれていると、それはやがては雇用情勢の悪化を招く。あるいは投資が見られないことによって、生産性の伸びが低くなる。次第に国際競争の中においてはその立場が悪くなる。そう考えると「生産性を引き上げる投資が持続的に出続けているのか」、「社会において雇用の場は多くの人が満足する形で提供されているのか」等々のテーマは、物価の安定と同時に議論されるべきテーマであるという命題も、決して間違っているわけではない。
 黒田氏が日本銀行のこれまでの在り方に対して違和感を持っていたとすれば、物価の安定はもちろん重要なテーマであるが、それは他の無視することのできない命題と並んで立っているものの一つだという点だろう。議論の仕方や命題の立て方はrefutableな命題としていくつかを立てるという手法になる。例えば、「職場は増えているのか」、「生産性を引き上げる投資は我が社会で続けているのか」の二つはつけ加えることができるだろう。
 一見、日本銀行の政策は安定的のように見えるが、物価の安定は自分の庭を綺麗にするだけで落ち葉を庭の外に掃き出している行為であり、例えば、外が公道だとすると、公道に落ち葉を出しているだけで、自分の庭が綺麗だからと言ってそれで悦に入ってもらっては困ると黒田氏は感じたのではないだろうか。もちろん日本銀行の中からは「とんでもない。我が庭さえ良ければ、公道に落ち葉を押しやって良いと考えているわけではない」という反論が出てくるだろう。ただ社会科学の命題をrefutableなものを重ねることを通じて、即ち経験値から学び、命題そのものの修正を図るという態度が決定的に重要だというポパーの主張に若き日に同感した黒田氏にとってみると、物価の安定以外の経済目標に対して鈍感過ぎるのではないかという感触があったのではないだろうか。「上部構造は下部構造によって決定される」という命題を覆すのは容易ではない。同様に「貨幣価値の安定は重要である」という命題は極めて重要であり、正確な目的描写である。しかしそれはrefutableなものとして、即ち、他の経済条件等々との兼ね合いについて何か述べているものではない。この点に問題があるというのが黒田氏の判断だったのではないだろうか。

 黒田氏が日本銀行総裁に就任した今日、日本経済の金融を巡る情勢は決して容易なものではない。今後はまさに複数の目標を同時に達成していかなければならない。「果たしてそのための手段に見合うだけ我が社会は持ち得ているのかどうか、財政規律の喪失があるのではないか」これは命題であり且つ恐れでもある。

 今後は、常に背後から、財政規律の喪失という刃を突き付けられながらの金融政策であり、容易ならざることは間違いない。今までとは違う立場に置かれた黒田氏がどのような形で自らの姿勢をrefutableなものとして提示するのかについて、この命題を彼にぶつけつつ、議論をする機会を持ちたいと思っている。
 真偽はわからないが、よく「日銀総裁はこの日本橋界隈の蕎麦屋に昼食をとりに出ることもままならない」と言われている。この本石町あるいは日本橋室町付近で蕎麦でも食べようと言えるのかどうか、近いうちに「蕎麦屋に昼食をとりに行けますか」という命題がrefutableかどうか試してみたい。

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